ナミビアとドイツ 〜騎士の像〜
新聞社「Namibian」の記事は、「スワコプムントに騎士の像が現れる」
という記事がありました。
この記事には、レプリカがレストランに建てられたということしか載っていません。
実はこの像の本物は、もともとウィントフックの首都に設置されていたもので、現在は撤去されています。
ナミビアがドイツの植民地となったのは、1884年から第一次世界大戦までの30年間です。
その際ドイツは「へレロ」民族を一人残らず殺すという方針のもと、激しい戦いが繰り広げられます。
この戦いによって、「へレロ」だけでなく「ナマ」「サン」「ダマラ」などの民族も、犠牲となり、へレロに至っては8割の人口を失います。
前記事「ナミビアの牛肉とアパルトヘイト」ととも関係しており、ドイツ人が占領したのは、ナミビアの南部であり、レッドラインより北部に住む「オバンボ」族はあまり被害に遭わなかったため、現在の人口の5、6割を占めています。
この際の勝利の功績によって建てられた物がこの銅像であるから、首都から撤去されました。
『ナミビアを知るための53章』より
ここで、疑問なのがなぜこのレプリカが今回、設置されたことに対しての批判がないのだろうかということです。
そしてそのあたりをなぜ新聞記事にしないのでしょうか。
そのあたりも「ナミビアン」の新聞社には書いてもらいたいものです。
やはりドイツから援助が多く、そのあたりを考慮してのことなのでしょうか。
ドイツからのボランティアも派遣されており、現在は友好的な国です。
スワコプムント、リューデリッツという街はドイツ系の建物があり、現在でもドイツ系ナミビア人のための、ドイツ語の私立の学校は存在します。
ドイツ系の建物
また、唯一ヨーロッパからナミビアへ直通で飛行機で来れるのもドイツとなります。
ちなみに、日本でも有名なモデルのベハティ・プリンスルーもドイツ系ナミビア人です。
アメリカの「マルーン5」のボーカル、アダム・レヴィーンの奥さんでもあります。
本人はアフリカ出身であることを、告げると周りに驚かれると言われると言っているそうですね。
それはアフリカの歴史に関係があり、ドイツの植民地によって、帰還できなかったドイツ系のナミビア人は多くいるという事実でもあります。
今回は騎士の像は、観光客のために造ったとのことですが、ドイツの勝利の功績を称える像であり、多くの犠牲者が背景にあるということを忘れてはなりません。
参照
『Namibian』
https://www.namibian.com.na/75732/read/Reiterdenkmal-pops-up-at-Swakopmun
ベハティ・プリンスルー