「かまど改善」日本の戦後開発からナミビアの協力隊活動に生かす。
ナミビアへ派遣されてから、3か月目に大学院での、日本でのスクーリングがあり、そのスクーリングにおいて、開発における考え方を学ぶことができました。
「今日の地域開発の実践に何が生かせるか。」
というテーマの授業があり、日本の戦後においての「生活改善運動」について知ることができました。
日本の戦後開発は「農業改良助長法」から、農業改良普及員(男性)と生活改良普及員(女性)が置かれ、人づくりとして、「生産力の向上ではなく、考える農民を育てる」がスローガンであったといいます。
特に、女性の「生活改善普及員」にフォーカスし、今あるものの中で、お金使わずに何ができるだろうか。という考えで、考えたものを持ち寄り、それぞれの生活改善普及員が共有を図った。そして、集約したもので指南書を作成した。これらは、アメリカの真似だけではなく、現地に合うものを築いていったという。個別訪問、講習会、座談会、展示会など、何回通ったのかということを記録し、この根拠をもとに講演会を行っていた。また、農家から学ぶ姿勢で訪ね歩く、地道な関係づくりをし、労を惜しまぬ「かかわり」の中で、きっかけをみつけていったといいます。
普及活動をするにあたり、4段階に分かれていた。
「普及活動を段階的に捉える」
第一段階:無我夢中期
第二段階:おんぶ期
第三段階:二人三脚期
第四段階:手を繋いで歩く期
学問的な根拠とつながっているということをみせ、(理論的に)普及させるにあたり、納得させるように努めていたという。「見直す」ために、何が問題で何がとっかかりになるのか、ということに目を向けたところ、当時の女性の家事おいて、台所に問題があったため、生活改善普及員が「カマド改善」が大切ということを推奨されていった。
『「改善」の発想 生活改善普及の特徴の一つに、「なるべくお金をかけない」、「手元にある資源を工夫する」ということがある。それは、当時の農村社会(日本社会全体もそうであったが)の資源不足、資金不足の中で新しいことをするのに新たな資材や、追加的な支出があっては多くの貧しい農民には実行不可能なこととして敬遠されてしまうからであった。 多くの地域での生活改善事業のエントリーポイントが「カマド改善」であったのは、粘土といくらかのブロックがあれば作れる、という「省資源」的な施設改善であったからで もある。生改はさらに、施工費を節約するために自らが左官屋について、カマドの壁塗りの技術を学び、またカンナ掛けの実習もして、自力でカマドや流し台を据え付けられるように教育されたのである。このような「手作りカマド」は、農家の主婦ひとりひとりの体格にあった高さのカマドや流しを作ることが出来るという利点もまた持っていた。
(中略)
これ以外にも住まいの改善には様々な「工夫」が見られ、これは手先の器用な日本人の 特質でもあるかもしれないが、身近にあるもので生活を「改善」していくという思想は、 後の日本型工場管理システムとしての「カイゼン」にもつながる発想として興味深い。』
https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/11689882_01.pdf
国際協力事業団(2002)「農村生活改善協力のあり方に関する研究」検討会
あるものを上手に生かし、徐々に長期的な取り組みを実施し、リーダーを育成しその人を生かす。そして、10年ほどでリーダーを育成しその後、グループワークを行っていたという。こうした個の改善から村全体の課題に目を向けていったといいます。
こうした日本での戦後の開発は、途上国において、非常に参考になると思われる。私は、JICA海外協力隊として、教育事務所に所属しているため、まずは学校を巡回し、今の状態を知り、関係作りから、きっかけをつくることが大切だということをこのスクーリングを通して、改めて感じた。また、ごみが多く捨てられている学校環境の改善におけるワークショップを行ったきっかけともなりました。
生活改善普及員の活動の裏側には、こうした改善を行うことで、カマドの前でゆっくりとする時間がなくなってしまい、女性の休みが減ってしまったという声も聞かれ、こうした副産物も生まれる可能性も考えないといけないことも学び、活動を行う上で知っておいて非常に良かったです。