ナミビア 〜Nombili のんびり〜

タイトルの「Nombili のんびり」とは私が活動している 地域のオシワンボ語の挨拶で「平穏」「穏やかな」という意味です。世界が平穏であってほしいと願いこのタイトルにしました。青年海外協力隊として活動しながら、大学院にて開発学についても学んでいます。様々な角度から綴っていきたいです。

ナミビアと特別支援教育(障害児・者支援) JICA海外協力隊

ナミビア特別支援教育(障害児・者支援)

 

ナミビア特別支援教育について、見たことなどを記していきたいと思います。

ナミビアにも特別な支援を要する子どもたちは多くいる印象です。ダウン症の子どもが通常の学級に交じって授業を行っている場面を見たことがあります。

 

授業を見た感じは、Inclusion(インクルージョン)というよりは、Integration(インタグレーション)という感じでした。

簡単に言うと、インクルージョンは、個々に必要な教育的な支援をしながら、通常の子どもたちと一緒に教育を行っていく。

インタグレーションは、教室にただ支援が必要な子どもが存在しているだけの教育。

このような感じになってしまっている印象でした。

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特別支援学校の教室

特別支援学級のある学校では、ある程度個々に応じて教育がなされているという印象がありました。それでも、絶対的に特別支援学級、特別支援学校が少なく対応しきれていないというのが現状です。

 

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Moreson special school

私が日本で特別支援学校に勤めていた経験があることから、JICAの現地職員とともに特別支援学校の視察と新しいJICA海外ボランティアの新規案件の募集のお手伝いをさせてもらいました。

 ナミビアは特別支援学校そのものが少なく、大きな都市にしかありません。その中でも、モーレソン特別学校(Moreson Special school)とEluwa Special School(エルワ特別学校)の2校の特別支援学校を視察させてもらいました。

 

モーレソン特別学校(Moreson Special school)は首都ウィントフックにあり、JICAに提出した書類の一部を抜粋して紹介します。この文章が基になって、新規案件が作られました。

 

「モーレソン特別学校(Moreson Special school)」

  • ダウン症、知的障害、自閉症、その他障害の生徒が在籍している。
  • 1クラス約20人の生徒に教員が1人で教えており、すべての生徒に目が行き届いていなかった。(授業中にずっと積み木で遊んでいる生徒が何人かいた。)
  • 静かにする場面では口を閉じることができ教員の言うことは聞き、生徒たちの規律は守られているようであった。
  • 授業をしている先生は教員免許をもっておらず、心理専攻をした先生が教壇に立っていた。
  • ドイツ人ボランティアが入っており、短期(3か月)の学生ボランティアで、体育を担当していた。年間を通して授業を行うのであれば、JICAボランティアが入っても良いと思うが、特別支援学校での経験があった方が良いと思われる。
  • 将来役立つような技術を身に付けることが大切であるため、そのよう作業の授業も取り込まれていた。農業、陶芸、レンガ造り(建築?)など、作業の授業があった。

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    農業作業の苗
  • Life skill(生活単元学習)の授業もあったが、実際の生活とリンクしていないのではないかと思った。例えば、授業で洗濯機の回し方を練習するということを言っていたが、実際に生活していく上では手洗いでの方法を身に付けた方が良いのではないかと思った。日本では、衣服の着脱などの練習も行うがそのようなことは組み込まれていなかった。
  • 日本では、個別の支援計画を作成しなければならないが、そのような将来を見据えたものを作成していなかった。

 

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遊具
  • 特別支援学校に従事したこと(3年ほど?)のある方にボランティアが入るとスムーズに取り組むことができると思う。日本の特別支援学校では、少人数で授業を行い、個々に沿った授業を行う姿勢があるが、絶対的に教員数が少なかった。

jocv-info.jica.go.jp

 

もう1校は、Eluwa Special School(エルワ特別学校)で、Ongwediva(オングウェディバ)という街で、北部の街の中でも発展しており、大きなモールや映画館などがあります。

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Eluwa Special School

長期休業中に視察させてもらったので、子どもたちの様子はわかりませんでした。

先生方とお話しした感じは、ボランティアは一人の教員というよりは、現地の先生と協力しながら行っていくことが必要であると感じた。

 

・聴覚の問題がないため、通常の小中学校と同じように教育しているという印象。

・手話は日本と違うため、手話を同時に覚えておく必要性もあると感じた。

jocv-info.jica.go.jp

 

 

オカハオで私の活動の説明や日本の特別支援学校の様子やJICA海外ボランティアが何ができそうなのかということを校長先生や教務の先生や教科の先生に説明をしました。

 

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校長先生に説明する私

ナミビアの教育方針として、インクルーシブ教育を進めていく方針なので、特別支援教育の普及が今後進められていくと思われます。

 

 

MISIAの絵本『ハートのレオナ』とアフリカとナミビアのつながり

歌手のMISIAさんがA-studioという鶴瓶さんのテレビに出演していました。

番組の中でアフリカ布のマスクも作っていることを言っていました。アフリカ布はとてもカラフルで美しいです。

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MISIAさんのマスク

 

 

MISIAさんはアフリカの支援をされており、2019年に行われたTICAD7というアフリカ開発会議での名誉大使に任命されています。

第7回アフリカ開発会議(TICAD7) | 外務省

 

MISIAさんは、アフリカを舞台にした『ハートのレオナ』というライオンの主人公が旅をする絵本を書いています。

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絵本『ハートのレオナ』 作:MISIA



アフリカの学校の問題、マラリアの問題、サイ(角)の密猟の問題なども扱い子どもにもわかるように丁寧に書かれています。

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『ハートのレオナ』スーダンのサイの問題について取り上げる

 

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角が切られたサイ(エトーシャ国立公園)


また、アフリカの景色や音楽、砂漠やバオバブの木なども登場します。

 

アフリカや国際協力に興味をもてる内容となっています。番組の中では紹介されませんでしたが、とても良い絵本です。

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絵本に出てくるバオバブの木の長老

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ナミビアのオカハオのバオバブの木(国家遺産)

 

misiasp.com

 

 

MISIAさんは2012年紅白出場の際に、ナミビアナミブ砂漠で歌を歌っています。

 

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2012年紅白

 

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MISIAが歌ったDune45

 

 

www.jica.go.jp

 

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jollyoshi.hatenablog.com

JICA海外協力隊、ナミビアの2年間を振り返って(ナミビア通信~のんびり~最終版) 

これまで過ごしてきた家族のような地域の人々と別れ、大きなウシやヤギの群れが歩く姿、きれいな天の川の星々や南十字星が見られないのは、寂しいです。

 

これまでナミビア通信で、世界観が少しでも広がってほしいという思いから、様々な協力隊員にインタビューをしてきました。

同じ協力隊員でも、活動内容が異なり、私にとっても多く学べる機会となりました。最後は、私自身の振り返りも兼ねて、自分へのインタビュー形式で活動を紹介していきたいと思います。

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JICA冊子クロスロード

・活動の内容を教えてください。

33校を管轄する教育支所に配属されており、ナミビアでは初めて教育事務所で活動する協力隊員でした。同僚の教育官と学校を巡回し、模擬授業を行ったり、授業を観察し現地教員へアドバイスをしたりしました。また、定期的にワークショップの開催もしました。教材を紹介する際には、「1.現地にあるもの」「2.つくりやすいもの」「3.その場で一緒につくることができるもの」を意識して取り組みました。学校にポスターやカラーペンなど文具があまりそろっていないなどの問題があるため、段ボールを利用したトレーニングラダーを紹介し、実物を見せて一緒に作りました。また、裏紙を回収するリサイクルボックスを設置するように声を掛け、A4用紙の裏紙を集め、それを使ったカード教材などを作りました。

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ラダーづくり

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Recycle box




 

・なぜ青年海外協力隊に参加しようと思ったのですか。

中学生の時に授業でMichael Jacksonの「Heal the world」のプロモーション・ビデオを見た際、内戦や貧困等で苦しんでいる様々な人種の子どもたちの姿が印象的だったので、海外に興味をもち、大学生の時にはオーストラリアの学校で日本語教師ボランティアを体験しました。

また、カンボジア旅行で貧困地域を見て、海外での教育に興味をもつようになり、これまでの教員経験を生かして海外で活動したいと思うようになり、参加を決めました。

 

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ワークショップの一場面

 

 

ナミビアでの活動で印象的だったことや現地の人たちから学んだことはありますか。

子どもたちの教科書が全員分はないことや、書くものを持っていない児童生徒がいるという問題が印象的でした。小学校4年生からすべての授業は英語での授業が始まり、昇級試験が始まります。留年制度があり結果次第では次の学年になれません。日本では教科書が揃い、教材も豊富にある環境が当たり前ですが、モノのありがたさについて考えないといけないと思いました。また、ナミビアでは、食事やモノなど共有をする文化があります。こうした背景からか会議やワークショップなどでは、「私はこう思いました」と必ず意見を述べ、自分の考えを伝えます。私もできるだけ意見を述べるようになり、相手を尊重して自分の考えを他の人と共有する大切さについて学びました。

 

 

・活動で大変だったことを教えてください。

はじめは何をすれば良いのかわからず、戸惑うことが多くありました。特に、村の学校を巡回するためにどのように行けばよいのか、どこに学校があるのかがわかりませんでした。その解決策は、人とのつながりになりました。教育事務所で活動していると、多くの会議にも参加します。その際に、校長先生と交流を深め、連絡先を交換し、学校訪問が可能か、送迎はしてもらえるかなどの話をして、徐々に学校の巡回ができるようになりました。その他、森の中の道なき道を車で進み、森の中から急に現れるような村の学校が多くあります。教室のガラスは割れ、靴のない子ども達が多くいて、驚きました。街の学校では、ある程度、整った学校もあるため、そういった村と街とのギャップにも驚かされました。

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・最後に、2年間を振り返ってひとことお願いします。

 ナミビアへ行く前の気持ちを思い出してみました。「不安がない」とは言い切れませんでした。派遣される国は、JICAが最終決定します。「ナミビアってどこだ?」というのが最初の印象で、恥ずかしながらナミビアについて全く知りませんでした。アフリカのどんなところへ行くのだろうという不安を抱えていました。しかし、行ってみると、そこは美しい街並みや風景があり、そして、かけがえのない家族のような人たちと出会うことができました。また、活動を通して、ナミビアの歴史や教育など、様々なことを深く学びました。ナミビアにいるからこそ、いつでも飲める水や電気があることなど、日本の日常生活のありがたみを感じることができました。何気ない日常生活が当たり前ではないということを胸に刻み、日本へ帰国しても忘れないようにしたいと思います。

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同僚たち

 

ナミビアの青年海外協力隊として一区切り。心はアフリカ(ナミビア)に。

コロナウイルスという非常事態により全隊員が日本に帰国という中、ギリギリのタイミングで、ナミビアでの任期を全うすることができ、幸せに思います。

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6月終了予定の同期隊員も多く、任期の途中で日本に帰国して、そのままこちらで任期が終了してしまう人もいると思います。また、一時帰国をしていたら、帰国指示があったため、活動任国に戻ることができず、荷物を任国に残しているため、私費で荷物を取りに行かなければならないと、嘆いていた隊員もいました。

改めて、活動を全うできたことに感謝しなければならないと思いました。

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最後の授業研究



 

しばらく外から見ていた日本を、もう一度日本の内側に入ってみて、ナミビアに到着したときの感覚と似ていました。

まずは、気温が違うということで、桜が咲いていることに違和感を感じました。季節が異なるこということで、徐々に温かくなってから「咲く」というイメージの桜が急に現れた不思議な感覚を味わいました。逆に2年前ナミビアに着いたときは、日本で桜が咲き終わってこれから夏という時にナミビアに到着したときは真冬に突入していき、不思議な感覚でした。

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日本の桜

 

 

アフリカの人たちは同じような顔をしているなと感じたその感覚が、日本に帰って日本人にも感じてしまったのは衝撃でした。「みんな同じような顔をしている。」と自分でもおかしいと思いました。

すぐに顔の違いはわかるようになりましたが、日本人皆同じ顔に感じたのは変な感じでした。ナミビア人がよく、「日本人、中国人はみんな同じ顔している」と言っていたのは、あながち嘘ではなかったのかと思いました。

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空港内にて

 

生活に関しては、スーパーが夜遅くまで開いており、非常に便利であるとともに便利過ぎて、この便利さに感謝する気持ちがなくなってしまうのではないかと思いました。

毎日、水のシャワーを浴びていたり、手洗いで洗濯をしていたところから、温かいシャワーが出ることや、ボタン一つで洗濯ができ、脱水までできてしまうことに対して、なんという便利な世界なんだということを改めて感じました。

また、英語や現地語に一度変換してから伝えることをしていた毎日であったので、日本語でやりとりができることにちょっとした違和感を感じたました。

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手洗いで洗濯

 

家に帰ってからは、食べ物や食事に感謝するようになりました。ナミビアで一緒に住んでいた人や同僚たちは、自分の畑で採れたものや牧場で育てたウシやヤギを殺して食べていたので、命を頂くことに対して、身近に感じていたからだと思います。

 

今、コロナウイルスによって世界が異常な状態になっています。

ナミビアでは早くに都市封鎖を行うことによって感染が広がっていません。

仮に、アフリカで広がってしまえば、医療体制が整っていないところも多く感染拡大してしまえば、何百万、何千万という死者が出てしまう可能性もあります。

 

コロナウイルスによって、働き方や家族と見つめ合うきっかけになり、アフターコロナでは、世界の考え方が変わっていくのではないかと思います。

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ナミビアで最も話されるオシワンボ語(Oshiwambo)は日本語と似ている!

オシワンボ語とは

日本で開催されたラグビーワールドカップでは、ナミビアの主に話される言語はアフリカーンス語として、新聞等で紹介されていたようですが、実際は、オシワンボ語が人口の約6割が話しています。

【オシワンボ語…主にナミビア北部のオバンボランドで話される】

3分でわかるナミビアの歴史 - ナミビア 〜Nombili のんびり〜

 

なぜ、ナミビアの言語をアフリカーンス語と紹介されているのかというと、南アフリカからの植民地化によって、南アフリカで話されていたアフリカーンス語が独立前まで公用語となっていたからです。白人が今でも住んでいますが、ほとんどは、アフリカーンス語を母国語としています。

ナミビアは、英語が公用語になっていますが、様々な部族が暮らすため、多言語国家です。私の暮らす地域は、オシワンボ語を話しています。ナミビア通信の「Nombili」(穏やか)もその言葉の一つです。オシワンボ語は、母音があるため、日本語の発音とよく似ています。オシワンボ語で、「はい(Yes)」のことを「Ee(エー)」と言います。日本人が相づちで「えぇ」と言いますが、これも似ていると感じました。


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その他には、おなかがいっぱいになった「満腹」のことを「ワクタ(Wakuta)」と言いますが、日本語の「食った」に似ています。「クッタ」でも通じます。

また、苗字においても、「シマンダ(島田)さん」「ニシンダ(西田)さん」、名前についても「ケンジー(けんじ)さん」「アイナさん」「アイノさん」など似ています。

 

オシワンボ語表記

読み方

こんにちは

Uhalapo

ウハラポ

元気ですか?

Ongiini? (Ongepi?)

オンギニ (オンゲピ)

元気です。

Nawa(Ee)

ナワ(エー)

ありがとう。

Ndapandula / Tangi

ナパンドゥラ / タンギ

  

 オシワンボには、8つの部族があり、オシワンボ語は部族ごとに言葉を分けているため、8つの方言に分かれています。 その中でも、Oshindonga(オシンドンガ), OShikuwanyama(オシクワニャマ)は、オシワンボの中でも、公用語として認められています。

その他は、Oshigandjera(オシガンジェラ), Oshikwambi(オシクワンビ), Oshimbalantu(オシンバラントゥ), Oshikolonkadhi(オシコロンカディ), Oshimbandja(オシンバンジャ), Oshikwaluudhi(オシクヮルディ)があります。

これらは、もともと同じ部族であったのを、ドイツの植民地時代にそれぞれ小さな国をつくらせることで、互いにけん制させ合い、一位団結して蜂起させないようにするためだと言われています。

 

 

ここからは、完全に私のメモ書きとなります。ナミビアでどっぷりこれから生活したい、もしくは現地の人(黒人)と仲良くしたい人だけ見てもらえば良いと思います。一部、カタカナ表記のみにしてあります。また、これらは、私が同僚やルームメイトから聞いたものなので、どこの方言なのか、本当に正しいかまでは保証できません。 

 

上記に記した以外にも、挨拶はいろいろな種類があります。

 

挨拶・自己紹介・定型文

 

A:アポタテ(メメ)(How are you sir? (mum? ))

B:エー(返事)

 A:ワララポ(おはよう)

B:エー(返事)

 A:ナワー(元気)

B:エー(返事)

 などあります。

 

私の名前は~です。

エディナ リヤジェ  オンガエ (名前)

edina       lyaje      ongae ~

name        my       is ~

日本出身です:Onda zako Japana(オンダザコ ジャパナ)I’m from Japan.

 

おはよう: walalapo (ワララポ)

こんにちは: uhalapo(ウハラポ)

こんばんはwatokelapo(ワトケワポ)

いいね:Nawa(ナワ) Good

とてもいいね:Oshili nawa(オシリ ナワ) Very good 

ごめんなさい:Ombili(オンビリ) sorry

ありがとう:Ndapandula(ナパンドゥラ) Thank you

ありがとうございます:Tangi unene(ダンケウネネ) thank you very much

さようなら:Oshifete(オシフェテ) good bye

良い日を:ka uhalepo nawa(カ ウハレポ ナワ)Have a good day

良い夜を:ka lalepo nawa(カラレポ ナワ)Have a good night

ハッピーバースデー:Evalo ewa nawa(エヴァロエワナワ)

 

数字

0:nola(ノラ)

1:yimewe(イーメ)

2︰mbali(バーリ)

3 ︰ndatu(ダート)

4︰ne(ネ)

5︰ndano(ナーノ)

6︰hamano(ハマノ)

7︰heyali(ヘアリ)

8︰hetatu(ヘタトゥ)

9︰omugiyi(オムゴイ)

10︰omulongo(オムロンゴ)

11︰オムロンゴ ナ イーメ

12︰オムロンゴ ナ バーリ

20︰オミロンゴ バーリ

30︰オミロンゴ ダートゥ

40︰オミロンゴ ネ

100︰エセレ

1000︰エウビ

 

オシワンボ語文法コラム

文法は当たり前ですが、英語とは全く異なります。

オシワンボ語は、単語の前にOがほとんど入ります。その前に、Mが入れば、「~の中に」英語のinや「~の前に」beforeのような意味になります。街の名前Okahaoであれば「Mokahao」になり、「オカハオにいた」となります。

Ondi li  mOkahao.

I live in Okahao

また、Kが入れば、「~にいる」at,in,「~に向かう」toという意味になります。「Kokahao」となると、「オカハオにいる(向かう)」という意味合いになります。

日本語同様に、母音があるため単語の最後も子音で終わることがなく、最後に「a」が付きます。そのため、「Facebook」であれば、「フェイスブッカ」になります。

 

疑問詞・疑問文

ペニpeni where

オレole who

ウナケuunake when

ンギーニngiini how

シニポshinipo which one

オシケoshike  What

  

 (Edina loyo) oove lye? (エディナ オリョエ?) What is your name?

Tate le? (タテレ?) 男性に対して

Meme dje?(メメジェ?)女性に対して

 

どこにいたの?:Owali peni? オワリペ二? where were you?

どこにいるの?:Obli peni?(オブリペ二?)Where are you?

何をしているの?: オットンギシケ? What are you doing?

何がしたいの?: オワハラシケ? What do you want?

 

いくらですか:Oinaingapi? オイニンガピ? How much?

どこに行ってたの?:Otozi peni?(オトズペニ?)Where were you going?

どこに住んでるの?:Oizu peni?(オイズペニ?)Where do you live?

 

どこに行くの?:Otoi peni?(オトイペニ?)Where are you going?

よく眠れた?:Onda kosa nawa? (オワコサナワ?)did you goog sleep?

 

名詞

日にち

明日:(O)ngula(ングラ)tomorrow

今日:nena(ネナ)today

昨日:Ohela(オヘラ)yesterday

 

ヤギ:Oshikombo(オシコンボ) ヤギの群れ:イーコンボ

ブタ:オシングル

ウシ:オンゴンベ 牛の群れ:オーゴンベ

ヒツジ:オンジィ

肉 オニャマ

猫 ウンビシ 

猫たち オカンビシ

鶏 オンジュファondjuhwa 

 

水 omeya(オメヤ)water

 

ボランティア:Omwiyambi(オミヤンビ) volunteer

 

雨:オンブラ

晴れ:Omutenyaオムテニャ

 

彼女:カカドナ girl friend

彼氏:オカマティboy friend

 

1年:オブラ イーメ

 

問題 ウピャカヂィ problem

 

料理 テレカ cooking

 

睡眠 カコファ sleeping

 

ファットケーキ オカクッキ 

 

自由:Magurukeni(マグルケニ)Freedom

 

服:イクトゥ

 

病院:オシパンゲロ

 

家:egumbo(エグンボ)

 

鍵:オシャピ

 

ご飯:Orwishi(オルウィシ)

 

サンセット:Komatango(コマタンゴ)Sunset

 

妊娠:ミタ

 

赤ちゃん:Okanona(オカノナ)baby

 

学校︰オスコラ school 

 

先生︰Omulongi (オムロンギ )teacher

 

簡単な会話文・動詞

 

見て:Tala(タラ)Look

 

知ってる:オンディシシ I know

 

少しだけ:カシュワナ

 

美味しい︰シャトワラ

 

トイレに行きたい:オパンジュコ

 

水がほしいです:Ondahara okuma omeya(オンダハラ オクマ オメヤ) I want to drink water

 

~がほしい:Onda hala~(オンダハラ) I want to~

 

あなたは~がほしい: Owa hala~(オワハラ)You want to~

 

ほしくない:イナンディハラ I don't want

 

座って:クトゥンベニ Sit down

 

静かに:ムティカ

 

口を閉じる:メナ

 

起きる:ガペンドゥカ

 

とても疲れた;ワブルアシネネ Very tired

 

好きです:Ondi ku hole(オンジクホレ)I love you

 

嫌いです:Ondi kuyele(オンジクエーレ)I hate you

 

結婚したいです:オンダハラ クホカナ I want to marry you

 

お金がありません:カプノシマリワ no money

 

冗談でしょ:ポロポロ You are kidding

 

来て、見て:イラニムタレ Come and watch

 

おなかがいっぱいです:Ondakuta(オンダクタ)I'm full

 

行きます:Andiyi(アンディーイ)I'm going

 

言っています:Anditii(アンディッチー)I am saying

 

オシャカティに行った:Okwali ndaya  kOshakati(オクヮリンダヤ コシャカティ)I went to Oshakati

 

家にいます:Ondi li megumbo(オンジリ メグンボ)I'm in the house.

 

減らす:ナクゼ

 

閉じて:メニ

開いて:コンバタ

 

再び:Natango(ナタンゴ)Again

 

オシワンボ語ナミビアに来たら、覚えてみてください。 

ナミビアにおけるマラリアの予防について

ナミビアマラリアの流行地域です。そのため、ナミビアへ入国してから一定期間は献血をすることができません。「原則として帰国後1年間」マラリア流行地域に1年間を超える長期滞在をした場合には、「帰国後3年間」は日本で献血することができません。

しかし、ナミビア全地域が流行地域ではありません。必ずマラリア予防薬を飲んだ方が良いというわけではありません。

首都ウィンドフック、スワコップムンド、ナミブ砂漠のソーサスフレイなどへの観光だけであれば、問題ありません。しかし、エトーシャ国立公園やヒンバ族が集まるオプウォへ行く場合には、マラリア予防薬を飲んだ方が良いと思われます。

 

外務省

ナミビアでは2000年以降2013年までにマラリアを約98%減少させましたが,2014年になって北西部を中心に地方部(東カバンゴ,西ガバンゴ,クネネ,オハングウェナ,オムサティ,オシャナ,オシコト,オショゾジョンジュパ,ザンベジ)でマラリア症例が増加傾向にあります。ウィントフックをはじめ都市部でマラリアに罹患する可能性は非常に低いですが,感染リスクが高い地域に出かける場合にはマラリア予防内服が必要となる場合もあるので,事前に現地の状況を確認して予防内服の要否を検討して下さい。また,長袖・長ズボン等で肌の露出をできるだけ控え,防虫剤や蚊取り線香を用いるなど,蚊に刺されない注意も重要です。マラリア媒介蚊は夜間に活発な吸血活動を示すので,防蚊対策は特に夜間の時間帯に力を入れて下さい。ナミビア共和国マラリアは90%以上が熱帯熱マラリア(Plasmodium falciparum)で,治療薬クロロキンに耐性があります。潜伏期は12日前後,発症すると38度以上の高熱が続きます。発症後5日以内に治療を開始しないと脳性マラリアとなり,死亡率が50%にも及ぶので,マラリア感染の疑いがある場合には,可及的速やかに診断・治療を受けて下さい。」

外務省:

世界の医療事情 ナミビア | 外務省

 

ちなみに、日本でも病院に行けば予防薬を処方してもらうことは可能です。また、ナミビアの薬局においても、購入することは可能です。しかし、処方箋が必要な場合がほとんどなため、日本で入手してから行く方が良いと思います。

 

特に2020年は何年かぶりの大雨が降り、雨季の期間は蚊が多く発生しています。

2月に、40度近い熱が出てしまい、初めてマラリア検査キットを使用しました。結果は陰性でしたが、これをきっかけに、私もマラリアの薬を飲み始めました。

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40度近い熱

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マラリア簡易キット

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結果は陰性

私の飲んでいる予防薬は、「Mozitec」という薬で、流行地域に入る24時間前に1錠服用し、その後、一日1錠ずつ服用し、流行地域から離れてからも7日間飲み続けるというものです。副作用が少ないと言われています。実際1か月ほど飲んでいますが、今のところ大きな副作用はありません。

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Mozitec ナミビアの病院で処方してもらった。

その他には、「マラロン」「メフロキン」があります。

「Mozitec」は「マラロン」とほぼ同じ薬のようで、流行地域に入る前から一日1錠服用し、流行地域から離れてから7日間飲み続けます。

ザンビアマラウイモザンビークの隊員は、2年間飲み続けています。値段が安価なため、「メフロキン」を服用しているようですが、1週間に1度の服用なため、薬が強いと言われており、副作用が出ることもあるといいます。

 

アメリカの大使館が出しているマラリアマップを載せておきます。

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jollyoshi.hatenablog.com

「かまど改善」日本の戦後開発からナミビアの協力隊活動に生かす。

ナミビアへ派遣されてから、3か月目に大学院での、日本でのスクーリングがあり、そのスクーリングにおいて、開発における考え方を学ぶことができました。

 

「今日の地域開発の実践に何が生かせるか。」

というテーマの授業があり、日本の戦後においての「生活改善運動」について知ることができました。

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フィールドワークで見た囲炉裏

日本の戦後開発は「農業改良助長法」から、農業改良普及員(男性)と生活改良普及員(女性)が置かれ、人づくりとして、「生産力の向上ではなく、考える農民を育てる」がスローガンであったといいます。

特に、女性の「生活改善普及員」にフォーカスし、今あるものの中で、お金使わずに何ができるだろうか。という考えで、考えたものを持ち寄り、それぞれの生活改善普及員が共有を図った。そして、集約したもので指南書を作成した。これらは、アメリカの真似だけではなく、現地に合うものを築いていったという。個別訪問、講習会、座談会、展示会など、何回通ったのかということを記録し、この根拠をもとに講演会を行っていた。また、農家から学ぶ姿勢で訪ね歩く、地道な関係づくりをし、労を惜しまぬ「かかわり」の中で、きっかけをみつけていったといいます。

 

普及活動をするにあたり、4段階に分かれていた。

「普及活動を段階的に捉える」

第一段階:無我夢中期

第二段階:おんぶ期

第三段階:二人三脚期

第四段階:手を繋いで歩く期

 

学問的な根拠とつながっているということをみせ、(理論的に)普及させるにあたり、納得させるように努めていたという。「見直す」ために、何が問題で何がとっかかりになるのか、ということに目を向けたところ、当時の女性の家事おいて、台所に問題があったため、生活改善普及員が「カマド改善」が大切ということを推奨されていった。

 

『「改善」の発想 生活改善普及の特徴の一つに、「なるべくお金をかけない」、「手元にある資源を工夫する」ということがある。それは、当時の農村社会(日本社会全体もそうであったが)の資源不足、資金不足の中で新しいことをするのに新たな資材や、追加的な支出があっては多くの貧しい農民には実行不可能なこととして敬遠されてしまうからであった。 多くの地域での生活改善事業のエントリーポイントが「カマド改善」であったのは、粘土といくらかのブロックがあれば作れる、という「省資源」的な施設改善であったからで もある。生改はさらに、施工費を節約するために自らが左官屋について、カマドの壁塗りの技術を学び、またカンナ掛けの実習もして、自力でカマドや流し台を据え付けられるように教育されたのである。このような「手作りカマド」は、農家の主婦ひとりひとりの体格にあった高さのカマドや流しを作ることが出来るという利点もまた持っていた。

(中略)

これ以外にも住まいの改善には様々な「工夫」が見られ、これは手先の器用な日本人の 特質でもあるかもしれないが、身近にあるもので生活を「改善」していくという思想は、 後の日本型工場管理システムとしての「カイゼン」にもつながる発想として興味深い。』

https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/11689882_01.pdf

国際協力事業団(2002)「農村生活改善協力のあり方に関する研究」検討会 

 

あるものを上手に生かし、徐々に長期的な取り組みを実施し、リーダーを育成しその人を生かす。そして、10年ほどでリーダーを育成しその後、グループワークを行っていたという。こうした個の改善から村全体の課題に目を向けていったといいます。

 

こうした日本での戦後の開発は、途上国において、非常に参考になると思われる。私は、JICA海外協力隊として、教育事務所に所属しているため、まずは学校を巡回し、今の状態を知り、関係作りから、きっかけをつくることが大切だということをこのスクーリングを通して、改めて感じた。また、ごみが多く捨てられている学校環境の改善におけるワークショップを行ったきっかけともなりました。

 

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ナミビア帰国後にスクーリングで学んだことを生かした。

生活改善普及員の活動の裏側には、こうした改善を行うことで、カマドの前でゆっくりとする時間がなくなってしまい、女性の休みが減ってしまったという声も聞かれ、こうした副産物も生まれる可能性も考えないといけないことも学び、活動を行う上で知っておいて非常に良かったです。

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スクーリングでの一コマ

 

jollyoshi.hatenablog.com

協力隊ナミビア派遣から一時帰国をしてよかったこと 〜大学院スクーリングから〜

 私は開発学の大学院のスクーリングが日本であるため、ナミビア派遣後3か月目にして、一時帰国をしました。

この日本でのスクーリングでは、日本における過疎地でどのような工夫や開発が行われているのかというテーマで、同期の社会人大学院生とともにフィールドワークを行いました。そこでは、「地域おこし協力隊」(日本国内の協力隊員)が活動している姿も見ることができました。

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地域おこし協力隊の方の活動見学

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日本の農村部においてフィールド調査

 

JICA海外協力隊では、3か月以上経過していないと一時帰国は認められません。また、年間20日間しか任国以外の国で過ごすこともできません。これを任国外旅行と呼んでいます。

 

2年間で計40日間の任国外旅行をすることができます。私の場合は、23日間利用しました。10日間は日本で過ごしているので、実質ナミビア以外の外国で過ごしたのは、13日間となります。40日間あるので、使わないともったいないという人もいますが、私は、ナミビアは、国内だけで見どころが満載なのでナミビア国内の旅行は充実していました。

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アフリカには、クマはいないため日本の動物も紹介できた。

一般的には協力隊員は、1年間任国にて過ごしてから、一時帰国することが多いです。または、一度も一時帰国をしないという隊員もおり様々です。

私の場合は、帰国しなければスクーリングの単位を取得できないということもあり、帰らなければならなりませんでした。初めは、同期達が活動をしているのに帰国して良いのかというような変な気持ちになりました。日本に帰ると、手洗いでなく、洗濯機で洗える生活や地下鉄が通っている日本の生活が不思議にも感じました。

3か月を過ぎ任地において何が必要なのかというものがある程度わかってきました。帰国の際に、必要なものを取りそろえたり逆に必要なかったものを持ち帰ったりもしました。

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協力隊員として活動中に、日本のご飯を食べるのもある意味貴重な体験だった。

日本に帰るだけで、往復約4日間かかってしまうため、思いついた必要なものはアマゾンで日本の実家へ送り、買いそろえていました。その他には、日本の教科書や教材などを、知り合いの教員と連絡を取り合い、揃えてもらい持っていきました。その他には、殺虫ワンプッシュスプレーも注文しておきました。

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ナミビア北部ではワンプッシュスプレーは必須。

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日本へ来る前にアマゾンで注文しておいた品々。

一時帰国は、様々な友達にあったりしてリフレッシュを兼ねた部分が多いと聞きますが、自分にとってはスクーリング受講のために帰国したため、まわりに周知することなく、一部の方に会っただけで、あまり知り合いには会うことはできず、日本で開発学や修士論文の書き方などの勉強の滞在となりました。

 

任国外旅行の日数が減ってしまうということで、日本へ一時帰国しない隊員もいますが、自分は必要なものを任地に来てからそろえることができたことや、自分の家族に活動先の話などができたことが非常に良かったと思っています。また、日本の写真、学校なども含めて多く撮り、活動先の同僚などに日本の紹介ができたことは良かったですね。スクーリングで学んだことは、以下の記事に書いています。

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日本の背景にアフリカシャツを着る。

 

日本の戦後開発の歴史をJICA海外協力隊の活動に生かす。 - ナミビア 〜Nombili のんびり〜jollyoshi.hatenablog.com

海外(ナミビア)で事例検討会PCAGIP法を実施する前に

事例検討会PCAGIP法とは

事例検討会PCAGIP法の実施方法と論理

PCAGIP法は、2006年に村山が開発しており、臨床心理学専攻の大学院生、教育現場、医療領域、管理職などに実践し有効性を実践的に確認[1]している。学校現場でできる事例検討法の必要性があったことから、以下で説明する「パーソン・センタード・アプローチ」の考え方と「インシデント・プロセス法」の手法を取り入れている。一般的な事例検討会は、事例提供者が事前に詳細な資料を準備する必要がある。「学校現場の多忙な教員は、(中略)資料作成と方法と事例検討の仕方にはなじみにくく、時間的にも無理である。多忙で時間がないので事例資料の準備ができない」(村山・中田[2012:19])ことや、第1章でも述べたように事例提供者が批判の的になってしまうことや、教員同士の理論闘争になってしまうなどの問題があり、新しい事例検討法として開発された。

 

基本姿勢

  • 参加者が中心でつくっていくこと。
  • 参加者から出される多様な視点を学べること。
  • 参加者の相互啓発プロセスであること。
  • 参加者とファシリテーターは共創であり、参加者を「リサーチ・パートナー」とみなすこと。
  • 確定した結論が出なくてもよいこと(事例提供者にヒントが生まれてくることが大切である)。

視点

  • 基本仮設・PCAの人間観関係論を尊重する。
  • 事例手強者の自己実現の方向性を大切にする。
  • カンファレンスの場をコミュニティとみなす。
  • カンファレンスの場をエンカウンター・グループの場とみなす。
  • ファシリテーターは事例提供者を含む参加者全員の暗視官官を高め、相互作用を促進する。
  • 参加者は、事例提供者と共同で、解決の方向性を探索するリサーチ・パートナーである。
  • プロセスを尊重する。
  • 結果が出なくてもよい。事例提供者のヒントになることが出ればよい。

定義

「事例提供者の提出した簡単な事例資料をもとに、ファシリテーターと参加者が協力して参加者の力を最大限に引き出し、その経験と知恵から事例提供者に役立つ新しい取り組みの方法や具体的ヒントを見いだしていくプロセスを学ぶグループ体験である」村山(2012)

構造

  • グループは、事例提供者、ファシリテーター、記録者2人、メンバー8人程度で構成する。
  • 情報の可視化と情報共有のための黒板(ホワイトボード)2枚を用意する。
  • 参加者は、全員に黒板(ホワイトボード)が見えるように円陣をつくる。

プロセス

  • 事例提供者を、被告にしない、批判しないこと。
  • 記録をとらないこと。

第1ラウンド

  • 事例提供者は、事例を提供した目的、困っていること、どうしたいかを簡単に述べる。
  • 参加者は、事例提供者と事例をめぐる状況を理解するために、事例提供者に質問し、その反応を記録者が黒板(ホワイトボード)に記録する。
  • 発言者は順番を決めて、1人ずつ順番に発言していく。その発言に刺激されて、次の発言者が質問していく連鎖を展開する。2~3巡程度で、1時間ほど経過する。
  • ファシリテーターはほどよいところで、黒板(ホワイトボード)の状況を整理する。

第2ラウンド

  • 第1ラウンドより事例提供者、参加者間に安心感が出てきて、雰囲気が和らぐ。
  • 情報の整理に伴い、浅い質問から深い質問、事例提供者に関する個人的質問などが出てくる。
  • ファシリテーターは、多様な見方が出てくるように、自由な雰囲気をつくる。
  • 50分程度で、事例提供者と事例をめぐる状況の全体像が出てくることが多い。これを「ピカ支援ネット図」と呼んでいる。ファシリテーターは、これを整理し、メンバーに伝える。これで事例提供者に必要な方向性が見えてくることが多い。

クロージング

  • このピカ支援ネット図をみんなで共有しながら、事例提供者がPCAGIP体験プロセスの感想を述べてもらう機会をつくる。それをみんなで共有して終了する。
  • 時間があれば、参加者各自の感想を述べてもらう。

村山正治・中田行重(2012)「新しい事例検討法PCAGIP入門 パーソンセンタード・アプローチの視点から」P32~33

 

PCAGIP法の論理

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引用・参考文献

村山正治・中田行重(2012)「新しい事例検討法PCAGIP入門 パーソンセンタード・アプローチの視点から」P45~48

[1] 村山正治(2011)パーソンセンタード・アプローチの挑戦 現代を生きるエンカウンターの実際p307

 

 

 

   修士論文からの抜粋になります。執筆やブログ等に引用する際は、ご連絡ください。

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ナミビアの教員養成と教員の実態

 

ナミビアの教員養成

ナミビアには、国立ナミビア大学(University of Namibia:UNAM)、 国立ナミビア科学技術大学(Namibia University of Science and Technology: NUST)、私立国際マネジメント大学(International University of Management: IUM)の3つの大学が設置されている。その中でも、ナミビア大学は、教育学科があり、Windhoek、Ongwediva、Rundu、Katima Mulilo、Keetmanshoopに全国5つのキャンパスをもっている。ナミビア大学は、2012年終了した学習者中心の基礎教育教員養成課程(BETD)は3年間であったのに対して、4年間の大学卒業の学位をもって教員資格を授与される。BETDと同様に学習者主体の授業ができるよう、実践型の授業を展開している。例えば、授業においてプレゼンテーションを行うことや、グループ学習を行うなどがなされ、学習者主体の授業を体験的に学んでいる。

 大学では、2学期制の前期(First semester)と後期(Second semester)に分かれている。大学1年次(First Year)では、教育実習は実施されず、基礎的な教科に関する知識や理論を学ぶ。発表型の授業、グループ活動が取り入れられている。また、2年次(Second Year)から始まる教育実習に備えて、授業の練習や授業計画の作成や授業案を作成する。授業計画に関しては、一週間の授業をどう進めていくのかを教科ごとに記載していく。また、授業案に関しては、授業の目標、導入、授業構成、結論などの詳細を記入する。大学2年次からは、教育実習が行われる。出身校や自宅から近い学校などに申し込み、実習校が割り当てられる。2年次に4週間の教育実習が実施される。2年次では観察が中心で、授業は2回実施する。3年次(Third Year)には、前期に4週間、後期に3週間の計7週間の教育実習が実施され、実際に児童に対して授業を行う。4年次(Fourth Year)には、12週間の教育実習を実施し、校務分掌など教員としての仕事も行う。教育実習には、大学教授が観察し、チェックや評価を行っている。

 

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ナミビア大学の教育実習(2019年)

出典:University of Namibia, Faculty of education prospectus 2019, pp105より

 

資格については、教員資格のない講師が授業を行っている場合がある。病欠や産休などによる休職や小学校の教員不足によって求人を行っている。教員資格がなくとも小学校低学年段階は、大学の専攻に関係なく、「Diplomas」以上の学位があれば、講師として授業を行うことができる。また、小学校高学年段階以上の教科指導の場合には、大学の専攻に関係する教科を教授できる。ただし、永続的な勤務についてはできない。なお、ナミビアにおける学位は8つに分けることができ、大学の専攻によって幅広く学位の種類が変化する。小学校低学年段階における教員免許のない講師に向けた「INSET: In-service Education and Training」という5年契約の政府のプログラムが開かれている。休日や長期休暇などに講座が開催され、4年間のプログラムに参加することで教員資格を得ることができる。一方で、教員資格のない講師を多く雇用しているために、教育学科を卒業した資格のある人材が、雇用されないという問題も表出してきており、社会問題になっている。(New Era[2018])

 

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ナミビアの学位

 

出典:Namibia Qualifications Authority, (http://www.namqa.org/framework/Degrees/169/

 

ナミビア(オカハオ)の教員の実態

教員の実態について述べる。BETDの実施によって、学習者主体の授業の実践がなされるようになり、さらに2012年からの4年制の新しい教員養成課程に移り変わったものの、依然として授業は長い説明をした後、黒板に教科書の内容を書き、児童はノートに黒板の内容を写させて授業が終わる教員を見かける。そして、今回の調査した学校ではないが、黒板に教科書の内容を書いた後は、教員用机に座り、授業中に爪を切り始めたり、授業中に食事を始めたりする場合もある。また、で述べたように、バンツー教育の影響だと思われるが、年齢の高い教員は、図や絵を描くのが苦手な教員が多い。算数の時間にアナログ時計を黒板に描いた際には、円の形がいびつで、数字の位置についてもバランスがとれていないといった教員や、教員が筆算の教え方を知らず、児童がいつまで経っても数を数えて計算をしている授業がなされている。一方で、児童とともに歌を歌ったり体で動かしたりして、創意工夫した授業実践をしている教員や、フラッシュカードなどの教材を事前に作製し、グループ活動を取り入れ発表させるなどの努力している教員もいる。こうした多くの教員は、街の学校に多い。その要因として、利便性が良く、自宅から通えることにある。村の学校の教員は平日には村の教員住居に住み、休日に自宅へ戻ることが多い。そうしたことから、村の学校は人気がなくなる。

 

首都Windhoekの学校を視察した際には、グループ活動を取り入れ、工夫された授業を行っている教員が多いと感じた。筆者の活動地域のナミビア北部は、オデンダールプランのホームランド制によって「オバンボランド」と言われる地域である。歴史的に白人から追いやられた過去があることは第1節で述べた。これらの背景から地域や学校、そして教員によっても大きく差異がある。様々な背景があるものの、創意工夫がなされた授業や適切な児童へのアプローチの方法を知っている教員がいるのも事実である。しかし、情報交換をする場がなく一部の教員のみが取り入れている現状がある。教員免許をもっていない講師も働く学校の現場では、体罰をしなければならない状況や、授業の改善の方法を知らないことも考えられる。学校内の情報共有がきる環境や協力体制がなければ、改善していく方法が教員個人に任されてしまう。こうした教師の困り感を解消する手段を提供する必要性がある。

 

参考文献

・ University of Namibia(2019), Faculty of education prospectus 2019, pp105

http://www.unam.edu.na/sites/default/files/newsletter/faculty_of_education_prospectus_2019.pdf

・ Namibia Qualifications Authority, http://www.namqa.org/framework/Degrees/169/

・ New Era(2018), “Qualified teachers demand removal of unqualified” oneshttps://neweralive.na/posts/qualified-teachers-demand-removal-of-unqualified-ones

 

  修士論文からの抜粋になります。執筆やブログ等に引用する際は、ご連絡ください。

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